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2022.3.5 CEOブログ

創業50周年ーその1

弊社は8月で満50歳。創業50周年を迎えます。
50周年記念事業は、コロナ禍をきっかけに社会の変化が加速しゆく時にあって「弊社が直面する課題と法人としての社会的使命」について一旦立ち留まって考えあい、「未来を展望する機会」であると捉えております。そして、そのよすがとすべきは「創業の原点」に違いありません。
弊社創業の昭和47年(1972年)は、米国統治下にあった沖縄が本土復帰を果たして佐藤栄作内閣が退陣し、田中角栄内閣が発足。「日中国交回復」を実現させましたが、「日本列島改造論」による地方の地価・物価の高騰とインフレ、環境汚染が社会問題化。「札幌冬季五輪」閉幕後には第一次オイルショックに見舞われる等、敗戦直後の朝鮮戦争特需から始まった経済拡大が一服。いずれくるバブルまでの助走期間のような停滞期でした。
この年の流行語が「未婚の母」であったように、家庭に縛られていた女性たちが社会的自立を模索しはじめる世相の中、「サラリーマンの妻」であった私の母は、甲府市で父の弟夫婦が繁盛させていた貸衣装店「甲府婚礼センタ―」の諏訪営業所を担うカタチで商売への挑戦の一歩を踏み出したのです。私が小学6年、妹が小学2年の夏のことでした。

1972年8月創業時の店舗

折しも父が勤務する電気部品製造会社が倒産。その整理期間に持病を悪化させた父は長期入院後に退職して母の始めた商売を生業とし始めたのですが、その家計は子ども二人を学校に出すにも精一杯。銀行借入もできない状態でしたが、予期せず家主から持ち掛けられた店舗購入ための銀行借入には、父の堅実さを信用して旧友が保証人となってくださり、おかげで銀行取引というはじめの課題を乗り越えることができました。それでも私が成人式を迎えた年の暮には、現金も底をついて父名義の生命保険はすべて解約し、経費の支払いに充てるという状態。父が亡くなったのはその翌々年の1月でした。
父を失った母のダメージは数年間続きました。それでも子どもを社会人に仕立てようと懸命に生きた母。その母を見守り、支え続けてくださったのが甲府マリアージュの叔父夫婦であり、両親の兄弟姉妹、友人でした。当時母はわずかな貸衣装と拙い着付の技のほか何も持ってはいませんでしたけれど、苦境にあっても人を大切にしながら朗らかに生きようとする姿が人の心を動かしたのでしょう。周囲が協力者となって人の絆を広げてくださいました。今の弊社はその闘いの結果です。
ところで今、私たちはコロナ禍という非常時にあります。この非常時を越えて更なる価値を創造しゆくためには、女性として苦境にありながらも「支えあう家族」「支えあう親族」「支えあう職場」であり続けるために、自分自身の在り方を磨いていった母。地域の方々から希望の光と讃えられた創業者の歓びや苦悩に思いを馳せ、その気概を語りあい、自身をさらに磨きながら、更なる10年、20年に向けて地域貢献への情熱を燃やしてゆきたいのです。
以下は第二次大戦の沖縄で「人が人でなくなる」戦争の不条理を体験しながら、死線を越えて生き残り、次世代へのメッセージを残した人々を取材したライターの言葉からの抜粋です。
「ある不幸な事象が生んだ怒りや恨みやレッテル張りから距離を置くことができるようになった時 そこに未来を救う大事な種が落ちていることに気づく
大変な時代を生きた人たちの心の波動も それを引き受けて今を生きようとする人たちの心の震えも、本当の光を見ようとしているのだ」

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