人は大事にされればされるほど
▶「木立に囲まれたナチュラルな邸宅で、大切な人への感謝と決意のひとときを…」とはフェリスクレールのキャッチフレーズですが、四季に応じその環境を整えることは容易なことではありません。館内もさることながら、ご近所との人間的な接点を含めた、敷地全体から醸し出されるあたたかで心通う雰囲気は、単なるショールーム(売場)を超えた「ヒトの温度感」とでも表現しましょうか。
▶それを支えてくださっているのが「フェリスガーデンチーム」の皆さんです。もとはと言えばウェディングフラワーを提供してくださっている花舎三月さんのメンバーが、我々の拙いガーデニングを見かねて「お手伝いしましょう」と声をかけてくださったのがきっかけ。そのうちのお二人はフェリスクレールで挙式された花嫁のお母様で、もうお二人は、子育て時分からの長いお付き合いだとか…。
▶中心者のIさんは北信濃の農村の生まれ。明治生まれのご両親のもと、大勢のごきょうだいの末子として育ちました。結婚後はご主人に従って各地を転勤される中で、お子さん達に恵まれながらも、息子さんの病に寄り添いそして見送り、そしてまたご主人を見送るという体験を重ねられたようです。Iさんの苦悩を越えて生きる思いは、一言では表現しえないものでしょうけれど、今私たちに朗らかに接してくださるそのお姿こそ、その体験に裏付けられた慈母そのものです。
▶先日、「娘時分に義姉の苦労の姿を見てきたのだけれど、やっとこさ義姉のキモチに共感できるようになった」とおっしゃっていました。ご実家を継いだご長兄は15歳年上で、そのご長兄に嫁ぎ、小姑含め12人もの家族を支えた義姉さまの姿を「尊敬していた」とIさん。数年前の彼女のお葬式は、孫にたちの弔辞に会場中が涙に包まれたのだとか。以下は、周りの方々との関わりを通じて自分自身を見つめるIさんが、この秋綴られたいくつかの「ガーデンだより」をまとめたものです。
▷いつもありがとうございます。ガーデンのお手伝いをさせていただき数年。やっと社員さんと共にガーデンづくりに歩き始められた気がしてうれしいです。8/30~10/6もう6回も共同作業を重ねられてきました。此の頃は自主的に「今日○人お手伝いできます。何をしましょうか?」と声をかけていただけるようになり、先日は 水くれ・掃き掃除・草取り等々 皆で8名でした。若い社員さんと共に行動するだけで歓びです。
▷知らず知らずのうちに70半ばが過ぎ、一人ではできないことを自覚しつつも、年を重ねられていることをありがたく感じます。両親から命をいただき、あたり一面の人々のお世話になり、それでもまだ心配してくださる人がいる。助けてくださる人がいる。なんてありがたいことか…。
▷人は大事にされればされるほど、人に何か返せるものはないかと思い、考えることを知る。しかし、体がついてゆかない残念…。それでも何か返せるものはないかと思う。例えば「ありがとう。ありがとう。」と言えること。“笑顔”もいいのかな。
▷「皆でフェリスクレールの外側からも共に行動する。」これってすごく良きことではないかと思っています。「どんなに内側が立派でも、周りがあれじゃ…」なんて言われないように頑張っているつもりですが…。 社員さんと共にすることは、今まで知らなかったことを知るという意味でも、共に良いことだと思うのです。いつかは社員さんが主体になって、ガーデンスタッフがちょっとお手伝いする。そんなふうになると、会社にとっても理想的なのではないかと思う私です。道路の掃き掃除や水くれや花摘み等々、一緒に動いてくださる社員の方々、ありがとうございます。
▷庭(外)しかわからない歳も重ねた私が、お世話になれることには感謝しかありません。そして、フェリスという会社に少しでも役に立てればという思いです。「今日は無理か」という時も、いざ仕事に入れば、皆と共に動いている私。仕事が終わってみると「あれ、元気!」と不思議な時もあります。
▷これは、与えられた仕事を何とか!と思う気持ちからだと思うのです。怠けたい自分も、おかげで頑張れている。こんなにうれしいことはありません。ほかの皆に全部おんぶにだっこの私ではありますが、それでも許していただいている現状です。
▷8月末のこと。社員さん4人も含めて全員で突っ込んだ会話をしてみて、また一歩、自分自身をもう少し深く知った気がしました。沢山の人との関わりの中で人は育つということはわかってはいたものの、また、仕事も皆さんに助けられてばかりなのに、私だけの思いをぶつけたことを少し反省しながら、やはりしっかり話し合うことが大切だという気づき。そしてまた、他人のことはその人でなければ何もわからないのだけれども、自分のことすらよくわかっていないという私のことです。